薩南諸島と日食の思い出
昨日7月22日は、トカラ列島や奄美大島で皆既日食が観測できるという日だった。
日本の陸上では46年ぶりのできごとらしい。
残念ながら、現地(特に悪石島)の天候は最悪だったようだ。
今回脚光を浴びたトカラ列島(鹿児島県十島村)には、昔から行きたくて行きたくてしょうがなかった。
こういう離島には、私の性格として常に惹かれるのである。
時間のある学生のうちに行こうと思い、当時はインターネットもホームページもなかったので十島村役場の観光課にパンフレットの請求をし、それは今でも家に大切にとってある。
(余談だが、十島村役場は鹿児島市内にある)
当時は船が1週間に1便程度しかなく、学生の身分でもどうしても日程の都合がつかなかったため、未だに行けていない。
一度は行ってみたいものだと夢見ている。
奄美大島では、2001年~2002年の年越しをした。
仕事の知り合いで奄美大島北部の奄美市(旧笠利町)出身者がいて、その人の実家に泊めてもらったのだ。
海沿いの堤防の下にある家だった。
年末に東京から名瀬までバイク(赤骨)とともにフェリーで渡り、大晦日に友達のまた友達たちと飲んでいるうちに0時を回り、2002年になった。
友達のお母さんに作ってもらった「鶏飯(けいはん)」のおいしさが忘れられない。
1月1日は旧名瀬市の小浜キャンプ場に移動してテントを張ったが、このキャンプ場は受付・駐車場からテントサイトまで海岸沿いの歩道を歩かなくてはならない。
満潮で高波のときは歩道が海水に覆われるので、1月2日にテントを撤収したときは半ば命がけで駐車場まで戻った。
足元を勢いよく海水が流れるので足をすくわれないようにタイミングを計り、バイクシューズ(この間まで使っていたシンテーゼ09)がずぶ濡れになりながらも荷物を担いで3往復ほど走った。
そのときに携帯ラジオとバイク用グローブの片方を落とし、海に流されてしまった。
その日のうちに奄美大島の南に浮かぶ加計呂麻島に渡り、海岸でテントを張ろうとしたが強風で張れず、海水浴場のシャワー室で2泊した。
そこには屋久島から鹿児島経由で渡ってきたライダーがいて、離島の話を一晩ゆっくり語り合った。
4日には奄美大島に戻り、名瀬のガソリンスタンドの1kmほど手前でガス欠になり、友達に連絡してガソリンを持ってきてもらうという失態をおかしつつ、その日の飛行機で東京に帰った。
(赤骨は後日フェリーで東京へ無人回送)
ちなみに、その半月後には再び赤骨とともに沖縄本島に2泊3日で行くという、かなり動き回った時期だった。
日食の話に戻ると。
昨日は私も11時10分前後に東京の空を見上げてみたが、厚い雲に覆われて全く何も見えなかった。
私の勤務先の人は、思ったほど興味がないのか、曇り空に諦めていたのか、建物の外に出てまで見ようとする人は少なかった。
夜に家でニュースを見ると、お台場や六本木では薄雲の向こうに欠けた太陽が垣間見えたそうだ。
私が子どものとき、部分日食を見たことを今でも覚えている。
夏休みで家族(両親と弟)で長野に旅行に行き、その途中で車から降り、セルロイド製?の黒っぽい下敷きのようなものをかざしたら、確かに半分以上欠けていた。
今では目に障害が残る危険性があるからその方法ではダメと言われているが、当時はそんなことは言われていなかった。
調べてみると、それは1981年7月31日のできごとで、東京では59%欠けたらしい。
日本での皆既日食は、次は26年後の2035年9月2日、北陸、北関東などで見られるのだそうだ。
26年後といえば、私は64歳。
半ば本気で、次の皆既日食を見ることを励みに生きていこうと思う。
皆既日食を目の当たりにすると、きっと人生観が変わると思う。
しかし、そのころには今は幼稚園の年中さんの我が家の姫が30歳、最近ようやく歩けるようになった若が27歳。
そんな姿は想像つかないなあ…
そもそも、それまで地球は安泰なのだろうか!?
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